2022年5月5日。こどもの日。
仙台駅から徒歩15分くらいのカプセルホテルに宿泊しています。
「ナインアワーズ」という全国展開しているチェーン店で、最近のわたしのお気に入りの宿泊施設です。
清潔感がありお洒落で、無駄なものが一切ない館内。男女は階ごとにしっかり別れていて、必要十分な設備はキチンと整っているので困ることもない。場所によってはラウンジもあるから、作業スペースとしても充分。
ここでひっそりとひとりの時間を過ごし、もの想いにふける。これが最近の私の出張時の楽しみなのです。
ただひとりの時間を作るだけならホテルでもできるのですが、このすぐ隣で人の寝息が聞こえるシチュエーションというのがまた不思議と作業効率をあげたりするのが面白いのです。
今は朝の5時半。
夜明けは迎えたけど、まだ町は何も動いていません。だから布団にもう一度潜りなおして、今のじぶんを書き留める時間に使っています。
「なんで、これを仕事にできたんですか?」
昨日の講座のあと、受講してくれた方に言われた一言をベッドの中で思い返していました。その時はそれっぽい答えを伝えましたが、本心ではなかったみたいで何を言ったか忘れました。
地元の牛タン屋さんで、食べ終わった食器を挟みこみ彼女の「心」についてただ話を聞いていました。
ただ話を聞くと言っても、私の場合もはや職業病で話の深度はどんどん奥深くなっていきます。 相手も望んでくれていたので(望まなければ絶対やらない)、そのまま奥深く眠っていた感情の原因やそこにこびりついて離れないものを少し取り除きました。かなり年季が入っていたので、今日だけでは終わらない、時間がまだかかることも伝えました。
「なんで、これを仕事にできたんですか?」
ひと通り話しこんだ後の、この質問でした。
今思うに、たぶん、わたしはもう傷ついてボロボロの自分になりたくなかったんだと思います。でも、人は自分が気づかないところで目立たない傷をたくさん負います。そして、気づいた頃にはその傷口が化膿して取り返しのつかないことになります。
20代の頃のわたしは、それはもう取り返しのつかないくらいのレベルに化膿していました。怖いのが、まったくそれに自分では気づいていなかったことです。
気がつかないところで傷をつくり、謎のタイミングでよく身体を壊していました。
この世にせっかく頂いた命を大切に扱いたい、と思うようになったのは友人の余命宣告からでした。25才の時でした。
それくらいから、なるべく早めに自分で自分の傷口に気づけるようになるための努力を始めました。
特にこの3年でたくさんの人と関わり、胸の内を共有し合ってきました。ボランティアも含めたら7年か。その経験の中で思うのが、結局のところ自分のことを守ってあげられるのは、自分でしかないよなぁというところです。
わたしはわたしがしっかり守ってあげなければいけない。 でもそれは何故かひとりではできないのです。わたしがわたしを守るだけなのに、孤独の淵にいては、できないようになっているのです。
わたしがわたしを守るために、他人との関わり合いが必要不可欠でなくてはならないのです。
わたしがわたしを守るために、だからこそ、あなたといるのです。