こんにちは。みのりんです。
note2日目です。
ちょっと過激なタイトル。
でもこれは恐らく真理で、汁という汁を垂れ流して全裸で死にかけていない限り、みんなどこかで取り繕わないと人って生きていけないと思うんです。
服を着て化粧をして丁寧な言葉と声で相手に近づき、装飾された名刺で挨拶をしたら大人しく珈琲をすする。 その珈琲が500円なのは勝手に店の人が決めたわけで、財布の中の一万円札は鼻をかんだらただのティッシュで、バファリンの半分は優しさじゃなくて添加物でできている。
そんな偽りだらけのこの世の中だからこそおもしろいはずなのに、大幅に偽って「人としてどうなのそれ?」って人に勝手にイライラして、誰かに愚痴をこぼす。 目の上を殴られたような青いアイシャドウの人からは、気まずそうに目線をそらす。
自分の偽りは棚にあげて、停止線を大幅に超えると不安になったりイライラする。勝手に。
でも偽りのない私の状態ってどんなんよ?って聞かれると『どんなんでしょうね(苦笑)』って、なる。 もはや偽りつづけてきたから本当のじぶんとかわからんし、何より自分のことって悲しいくらい全くわからん。ごめん。
家族や友人には自分をわかってほしくて裸の自分をさらけ出そうと心も体も解放するんだけど、たまにやりすぎて怒られる。
でもやっぱり、『美乃里(私の本名)って、こういう人間やんね』って、できうる限りのわたしの裸の姿と向き合ってくれる人が単純に嬉しいし好き。 だから私もその人の前では鼻水垂らして裸になる。なりきれないのはわかってるけど、なろうとする。
その裸の見せつけ合いみたいな、セックスみたいな関係性とか付き合いとかがわたしには面白い。まぁ人並みはずれて不器用だから、結局それしかできない。結婚して子ども産むとなかなかそんな時間も取れず、たまに欲して寂しくなる。
六畳半のアパートで泣きあって抱き合って喧嘩した友だちと、またくだらない話を酒を飲みながらやりたい。
で。
何が言いたいのかわからなくなってきた。
東京でいろいろ感じてきて取り繕わない表現がやっぱり美しくて好きでそこに時間もお金も投じたいって再認識してそれでも裸になりきるのは不可能だって諦めたからこその潔く騙すぞ。でもいろいろ諦めないんだぞ。
ってお話。