おはようございます。 みのりんです。
秋めいてきましたね。 季節の変わり目は少し苦手です。 身体が次の季節に合わせて急激に変化する。その変化に耐えるのに少し時間がかかります。
noteはご無沙汰でしたが、オンラインサロンで記事を投稿してました。
8月から始めたサロン。 この1ヶ月で、17記事書いてます。
9月入会募集してます
私の記事が読めたり、自分もクローズドな場で記事が書ける。月に1回オンラインで交流があって、もう1回はSNSや心の学びの場。東京と兵庫で朝ごはんしたり、本屋に行ったりしています。
静かで、ゆるやかな時間と関係性を結びたい方はご連絡ください。 (https://lin.ee/fb4PErY) 特設サイトにご案内します。 締め切りは9月1日まで。
今日は、はじめてオンラインサロンの中の文章を公開します。
noteの文と違って、読まれることをあまり意識せずに思ったことをぶわっと書いてます。だから支離滅裂で意味わからんかも。
今回のは長め。だいたい300〜600文字くらいの分量をいつもは書いてます。
では。以下はわたしの文に興味ある方だけ、ご査収ください。
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「りゅうちぇるの離婚」
スキャンダルとかほぼ興味はないんですが、大好きなりゅうちぇるの離婚だったんでついつい食いついてしまいました。YouTubeが面白いんですよ、彼。弁当食いながらめっちゃいい話とかするの。見たことない人は是非。
彼らの離婚の記事を読んで、さらにその記事を見た視聴者の声も読んだ。彼らの離婚を受けて、各々の解釈で受け取り、思い思いの言葉を発する視聴者。正直、とても気持ち悪くなった。この気持ち悪さは彼らだから、という彼らの希少性が引き起こしているわけではない。いつの日にも離婚に対する視聴者の意見というのは、「その人」が色濃くですぎて気持ち悪いと感じるのです。
他人の関係性への解釈って、いわゆるその関係性というフィルターを通して投影した、主に「自分」でしかない。
2人の離婚といういわゆる「既存の関係性の解除」は、もはや世間一般が意味する離婚とは違うのだと思う。というか、離婚という作業が同じだけで、同じ意味合いの離婚なんてこの世に1つも存在しない。それなのに自分の文脈に当てはめてあーだこーだいう視聴者の声のトンチンカンな温度に気持ち悪さを感じたのだ。
とはいえ、私がいまこうやって言葉にしているのも私の人生の文脈からの勝手な妄想でしかない。非常に勝手なことをしている。それを承知で、もう少し語る。
りゅうちぇるとぺこちゃんが今まで交わした膨大な対話(言葉になるものからセックスのような言葉にならないものすべて)がもちろんあるだろう。それは当然、2人にしかわからない。そして長い時間を費やしながら行き着いた関係性の停留所のようなもの、それがただ「離婚」という作業なだけなのだろう。なのでこれからも2人の関係性は続いて、次の停留所に行くのだろう。2人のことは2人にしかわからないけど、たぶんそうなのだと思う。彼らには彼らの未来が、おそらくだけどまだある。
わたしも今年の4月に離婚を経験した。だけど、お互いの関係性の終焉として離婚したのではない。2人の生きる長い文脈の中に、離婚という停留所を設けた。ただしこの停留所はお互いの人生に交差点のようなものが必要で、それは自ら設ける必要がある。だから私はもうこの交差点を設けることは彼にはない。関係性は細く続けどもそれは「親」という立場の共有でしかなく、関係性を育み停留所を設けて立ち止まるようなことは、私たちにはもうない。
他人のスキャンダルを語るときに、今の私もそうだけど自分の人生の文脈からの引用でしか語ることができない。だから、これ以上は噂話のたぐいにしたって言葉にはしないつもり。2人の対話もセックスもすべて舐めるように知っていたとしても、それでも他者には何もわからないのが人と人との関係性なのだ。だからこそ、愛おしくて、大切なのだ。