おはようございます。朝は6時34分。
今日はよく寝たほうです。
だいたいいつもの目覚めは5時代。前日にどれだけ夜更かしをしても、この時間に機嫌良く起きてこられるのはわたしの得意技です。ただし二日酔いの日は除きます。
観葉植物が若干しおれておる。。
起きたらすぐに、つけっぱなしにしていた自室とリビングの間接照明の電気を落とします。わたしの1日は、まず夜を終わらせるところから始まります。
つい先日までこのあと観葉植物に水をやっていたのですが、水のやりすぎで植物たちの元気がなくなってしまいました。なのでルーティンからは外します、観葉植物むずい。
少し本を読みます。ほんの10分ほど。
なんとなく目についた本の、たまたま開けたページをふむふむと眺めます。
最近かった興味深いものたち
そしてそこで感じたことを読書感想文のようにTwitterのツイートにまとめます。あまり本の内容に偏らないように、個人的な想いや感想がベースとなる文章を心がけます。
もちろん日常で思いついたこともツイートにまとめたりします。でも140文字という短いツイートの中から、自分の日常を推測されることを私はイヤだなと感じる人間です。なのでなるべく本を読んでそこから言葉をひっぱってくるようにします。
そうこうしていると今月7才になる娘が起きてきます。彼女はわたしと違って寝起きが最悪です。なので、ここで少し彼女ともめたりします。
「マジで勘弁してくれ」と思うときも多々あります。でも、相対的にみて幸せな朝の時間です。
8時ごろに小学校にいく娘を見送ったあと、軽くキッチンを片付けてメイクと着替えをします。それができたらインスタのライブ配信。キッチンや部屋の荒れ具合で、ライブ配信のはじまる時間は早まったり遅くなったりします。
9時までには終えてそこから仕事。
じぶんの仕事をしたり、人からいただいた仕事をしたり、仕事かなコレ?って自分でも疑うようなことをしたりします。
仕事の3割はメールやDMの返信です。予定をたて、それを実際に行うとどうなるだろう?というところまで想像力を膨らまします。そこでヨシ、と思えたら返信をしていきます。
この返信という作業は沢山の人と関係性をはぐくむ楽しい時間であると同時に、とても難しい作業でいつも頭を抱えています。好きだけど、苦手です。性格的に、いろんなことを考えすぎてしまうのです。一生懸命考える割にはすぐ忘れるし、よそに気がいくし、失敗ばかりしています。本当にごめんなさい。
隙間の時間は散歩をしながらスーパーで買い物をしたりします。お腹がすけば残りものを食べ、冷蔵庫がからっぽの日は近所の大学の学食をいただいたりします。激安で美味しいのです。
信州あわび茸が思いのほか美味しかった!
こんな生活なので平日はほとんどお金を使いません。わたしのクレジットの明細はほぼ移動とホテル代です。移動には惜しみなくお金を使います。新幹線、飛行機、タクシーによく乗ります。近所の24時間借りられるシェアカーもお気に入りです。
外で珈琲を飲んだりランチをすることも少なくなりました。愛知にいた時は毎日カフェで作業してたのに、今は家で飲む珈琲が好きです。今日はかなり久しぶりにひとりでカフェに入ってモーニングをいただきました。
カフェ時間が当たり前のものから、とても大切で特別な時間に変わってきています。だからいざ行くとなると、幸福感が半端ないのです。誰かと一緒ならさらに。
娘とふたりでいった海辺のレストラン
17時を少し回ると娘が学童から帰ってきます。
「ママーーー」とでかい声で叫びながら帰ってくるのでとても近所迷惑です。でもやはり相対的に見て、この時間は幸せで愛おしいものなのです。
ここから彼女は手を洗ってお菓子を食べ、そしてランドセルの中身をわたしにジロジロと見られます。本音は放置プレイで涼しい顔をしていたいのです。でもまだ私はそこまで踏みこむ勇気のない、小1児童の母親なのです。
彼女はiPadでゲームとyoutubeを楽しみ、私はTwitterのスペースという音声ライブ配信をしながらご飯を作ります。唐揚げがピチピチと揚がる音や、お湯がグツグツ沸く音を垂れ流し、その場で思いついた話をポツポツとしていく気軽な配信です。
19時半にごはん。
20時半にお風呂。
21時から21時半には布団にはいる。
「ママ、今日は夜おしごとー?」っていつも聞かれます。夜はラジオをしたり、セッションをしたり、イベントの打ち合わせだったり、まぁ何かしら忙しくしています。
昔だったら「おしごとー?」と聞かれたら、次からは仕事を入れるのはやめようかな。という気持ちになっていたと思います。
でも今はその選択は取りません。何よりわたしはこの夜の仕事の時間が好きだし、この時間にしか話せない人と話がしたい。娘とはいつだって時間が作れるのだから、この時間にしか話せない人と対話をするのが、私という母親です。
彼女はそういう母親をもったのです。そして私も彼女という娘をもったのです。だから彼女の都合とわたしの都合の折り合いを丁寧につけていくのが、娘といえども関係性を育む、ということなのだと私は思っています。
時間がきたのでここでおしまい。